2011年9月20日火曜日

建築とビーチの街、Barcelona (2) (9/5 - 9/9)

バルセロナといえばガウディ、というくらいこの街とガウディの存在は切り離せない。
事実、街中にガウディが設計した建物が点在している。その中でも一際有名なのがサグラダ・ファミリアと
グエル公園だ。中でも特にサグラダ・ファミリアは前評判通りとても印象深かった。そのデザインの
ユニークさもさることながら、教会としての高さも世界随一だろう。天井の高さを見るだけでも十分に価値が
あると思えるほど迫力満点だった。中にいるとナウシカの胞子の世界にでも迷い込んだ感覚だ。
ウィーンのフンデルトヴァッサーが「ウィーンのガウディ」と言われるだけあって両者は曲線やモチーフの
使い方がとても似ていた。

唯一残念だったのが、昼過ぎに行ったこともあってかタワー上部に上がる為のエレベーターが2時間待ち
だったことだ。しかも、他の場所を見て2時間後に戻ってきてもいいか聞いたところ、それはダメ、という
ことだったので中で2時間待つことになる。さすがに2時間は長すぎる、ということでエレベーターは諦めたが
今でも上から螺旋階段を見てみたかったなあ、と思う。まあそれは次回、ということで。









あとはバルセロナといえばFCバルセロナ。生憎滞在中に試合はなかったが(あってもチケットが取れる
か分からないが)、スタジアムは見学してきた。10万人近くを収容する欧州最大規模のCamp Nouは丁寧に
整えられた芝が美しかった。博物館も見学したが、バルサはクラブ創設100年以上だとは知らなかった。
スタジアムのロッカールーム近くにカトリックの礼拝堂があったのには仰天。さすが敬虔なカトリック国家だ。
日本のJリーグのスタジアム内に鳥居と神社がある感じか。





ビーチはスペインらしく、トップレスの女の人がたくさんいた。でもカナダの大学院構内にヌードビーチ
があったので、最早珍しくもなんともなかった。ここで1時間くらい昼寝したおかげで背中が結構焼けた。





2011年9月18日日曜日

建築とビーチの街、Barcelona (1) (9/5 - 9/9)

ニームを出発してから2時間ほどしたところで、ようやく海が見えた。
生憎の曇り空のため、「光輝く地中海」とはいかなかったが、それでも時節雲の合間から
顔を出す太陽によって照らされた海は鮮やかなブルーだった。

イスタンブールを離れてから約1ヶ月、考えてみればそれ以来ずっと内陸国を旅していたため、
海は一切見ていなかった。やはり島国日本出身者としては海を見ると安心する。

スペイン国境に近付くにつれ、街の景色も変わってきた。海沿いに並ぶ家々はギリシャや南イタリア
のように地中海独特の白い壁のものになった。こういった建築様式を見るだけで、いかにこの地域が
太陽に恵まれているかが分かる。

スペイン国境を越えてすぐの国境の町ポルトボウでバルセロナ行きの快速電車に乗り換えた。


バルセロナは巨大観光都市だ。今まで旅してきた中で間違いなく一番観光客が多いし、一番町全体の
面積も広い。ここに匹敵するのはイスタンブールくらいだろう。
旧市街は細かな路地が迷路のように入り組み、非常に複雑な作りになっている。こういうところでは
地図を見るのは諦め、直感と好奇心を頼りに積極的に迷ってみるのが面白い。

着いた日の夜は安くて美味しく、観光客が少ない隠れ家バール探しに躍起になり、途中であまりの
バールの数の多さと町の広さに疲れ果ててしまい、結局お腹が減りすぎたところで中華料理店に入った(笑)
いつの時代も中華は外れが少ないので迷ったら中華!というのはまあ王道か。







2011年9月15日木曜日

新旧混在の街、Nimes (9/4 - 9/5)

アヴィニョンに引き続き雨模様のニームへ。

日曜日に到着したので、他の欧州各都市もそうであったようにニームも死んだように静かだった。
雨でおまけにほとんどのお店も閉まっていて人もいないので街全体がしっとりとした雰囲気に包まれていた。

ニームは新旧混在の街として知られている。街のど真ん中には2000年近く前の古代ローマ闘技場
(ローマのコロッセオの小さい版)やメゾン・カレ神殿が建っているが、それらに隣接するように
イギリスの著名な建築家ノーマン・フォスター作の現代的なカレ・ダールが建っている。
重厚な石造りの歴史的建造物と、現代的なガラス張りの建物が違和感なく同じ空間に同居しているのは見事だ。

カレ・ダールの他にもニームには黒川紀章作のコリーゼ集合住宅などがあるが、これはニームが1980年代
から取り組んでいる「デザインを通じた都市再生プロジェクト」の一環だそうだ。

日本も京都など少数の都市は歴史的建造物を残しつつ現代的で洗練された建物を共存させることに
成功していると思うが、もっと多くの都市でこのような取組みをするポテンシャルがある気がする。


























2011年9月13日火曜日

教皇の城下町、Avignon (9/3 - 9/4)

リヨンから南下した最初の大きい街、アヴィニョンへ。

アヴィニョンと言えば「Sur le pont d'Avignon, l'on y danse, l'on y danse」の歌で有名。
むしろ恥ずかしいことに僕はそれくらいしか知らなかったが、実はアヴィニョンは1309年から1377年まで
ローマ教皇庁の所在地として、キリスト教史の中で重要な役目を果たした街。

アヴィニョン駅に着くと、駅のすぐ目の前からまっすぐに延びる道、Rue de la Republique(リヨンに続き、ここも目抜き通りはこの名前)
が城壁の門をくぐり、街の中心街へと続く。アヴィニョンは城塞都市なので中心街はほぼ全て城壁の中に納まっている。
それ故か、街のパワーや活気も凝縮されているように感じられ、とても賑やかな場所だった。


天候は、一番晴れを期待していたプロヴァンス地方なのにまさかの雨、しかしそれはそれで趣がある。
そろそろ秋なのであまり驚くほどのことでもないのかもしれないが、今回の旅では今までかなりの晴れ男っぷり
を発揮していた。晴れ男というよりも猛暑男というべきか。
「先週までは涼しかったんだけど今週から急に暑くなった」という言葉を何度聞いたことか。
旅のルートを話した人には「アブダビから暑さを運んできたな」とも言われた。
それだけにアヴィニョン(と、その後のニーム)の雨は意外だった。

歌で有名なPont d'Avignonは、神のお告げを受けた少年が怪力で大きな石を川に放り込み、その石が橋の礎を
築いた、という伝説が残っているらしい。橋はその後の戦や洪水によりダメージを受け、その度に修復が
重ねられたが、とうとうある時を境に修復をされなくなった。よって、現存する橋は、「橋」という名前
こそ付いているが実は「川を渡す」という橋としての機能は全く果たさない、ただの桟橋のような建造物だ。























空間的ゆとりがある街、Lyon (2) (8/31 - 9/3)

リヨンの名所は旧市街と、その裏のフルヴィエールの丘周辺に集中している。
特にフルヴィエールの丘にはフルヴィエール大聖堂(通称バシリカ)と古代ローマ円形劇場跡
があり、どちらも見応えがある。生憎曇り空だったが、バシリカ横の展望台からはリヨン市街が一望できた。
プラハのようにどの建物も屋根がオレンジで、とても統一感のある街だ。






















おやつがてら、前日にJohannaに教えて貰ったEric Kayserというパン屋(日本にもMaison Kayserとして出店している)
でバゲットを買ったが、あまりに美味しくて感動。2日で2本、1人で完食してしまった。

僕は大のバゲット好きなので、パンの美味しい国やお店に行くと必ずバゲットを食べているが、
確実に今までのトップ3に入る(と言っても大して経験値は高くないけど)美味しさだった。
外はカリカリ、中はモチモチ、というバゲットのあるべき姿を見事に体現し、粉の旨味が素晴らしかった。
バゲットはとてもシンプルだけど、それだけに素材の味がもろに出て、誤魔化しが利かないと思う。




リヨン2日目と3日目はポートランド留学時代の友達の従兄弟(日本人とフランス人ハーフ)S君に会い、一緒に街歩きをした。
彼の兄には同じくポートランドで一度会ったことがあったが、兄弟共に日本語は全く喋れない。
日本人顔の彼らがフランス訛りの英語を喋るのを聞いていると、少し不思議な感覚。
彼らの父親(日本人)は現在リヨンのビジネススクールで日本関係の講義を教えていらっしゃる方だ。

最終日の夜は、S君兄弟のご好意に甘えリヨン郊外にある彼らの実家でお父さんお手製の和食の
晩ご飯を頂いてきた(笑)彼らの家は地下にワイン貯蔵庫があったり、大きな庭とプールがあったりと
とても優雅だった。

うーん、やっぱり土地があるっていいなあ。。。