2011年9月8日木曜日

空間的ゆとりがある街、Lyon (1) (8/31 - 9/3)

予想以上に良い国だったスイスを後にし、フランスへ。

が、その前に電車の乗り換えで1時間半だけ町歩きをしたスイスの首都ベルンの写真を。

グリンデンヴァルドのホステル滞在中に出会い、仲良くなった日本人女性のKさんもベルンに行く
予定だったので、一緒の電車で移動し、お昼前にベルンに着いた。Kさんは都内の数ヵ所の病院で看護婦
として働き、今年の春に最後の職場を辞めた後はひたすら世界を放浪中だ。
インドネシアから始まり、ラオス、タイ、ベトナムなどの東南アジアの国を巡った後はトルコに飛び、
ギリシャの島を通ってイタリアに入り、そこから東欧を経由してスイスに辿り着いたという。
旅のプランなど一切なく、その場その場で気が向いた所にふらふらと行っていたらスイスに
「来てしまった」そうだ。次はアムステルダムかケニアに行きたい、と訳の分からないことを言っていたが、
半年くらいの余裕がある人ならではの余裕というか、気持ちいいくらいのノープランっぷりが見事だ。

前夜から引き続き、電車の中でも旅の話、日本の医療業界を取り巻く現状や問題点、看護婦ならではの
面白い経験の話など、話題は尽きなかった。自分とは全然違う経験をしてきた人の話を聞くのは刺激的で
本当に面白い。何度も言うが、旅の醍醐味はやはり人との出会いだ。出来るだけ色んな人と話をしたい。


そんなKさんとの楽しい会話のお陰で、ベルンの街はあまりマジメに見なくて、ただフラフラと
適当に歩いただけだった。旧市街は一応世界遺産にも登録されているだけあって石造りの建物が
とても綺麗だった。ただ、それよりも印象深かったのは街の中心部を流れるアーレ川の景色と、人々の生活ぶりだった。
今まで見てきたスイスの街の中で一番暮らしやすそうな街だな、と思わせるゆったりとした雰囲気があった。












ベルンでKさんとお別れし、ジュネーブへ。乗り換え時間30分でリヨン行きのTGVに乗る予定だったが
指定席券を買うためにチケットカウンターに並んでいたら40分ほど経ってしまい、予定した便を逃して
しまった。予め見ておいた時刻表によれば次のTGVは夜遅い便になってしまうはずだったが、実はTGV以外の
快速電車が1時間後にあることを知り、それに乗ることにした。TGVはユーレイルパスの他に追加料金が
必要だが、快速電車には追加料金がいらない。TGVに乗り遅れたお陰でお金は節約できたのだ。
しかもリヨンまでの所要時間は大して変わらなかった。TGVに乗る意味あまりなし。

夕方の17時半頃にリヨンに到着し、ホテルにチェックイン。この3週間くらいホステルのドミトリー
泊まりばかりだったので、個室に泊まるのは久しぶりだ。リヨンでも安いホステルを探したが、
立地があまり良くなかったので安いホテルにしたのだ。それでも一泊50ユーロ(5000円ちょっと)した。
今までで一番安かったのがミュンヘンの一泊12ユーロ(1500円くらい。但し40人部屋!)だったので、
かなり高く感じた。

リヨンに来たのには少し理由がある。アメリカ留学時代に仲の良かったフランス人達が皆リヨン出身だったのだ。
彼ら彼女らは今は誰もリヨンにいないが、彼らを頼りに知り合いや親族を紹介して貰い、一応2人ほど会ってくれる人を確保していた。
(今回の旅では、直接知らない人でも信頼できる知り合いの知り合いをどんどん紹介してもらって色んな人に会っている)

着いてすぐに街の中心部で1人目のJohannaと会った。もうすぐリヨン郊外の図書館で司書として働き始める、
という彼女は、大学時代に英文学専攻だっただけありフランス人とは思えぬイギリス訛りの綺麗な英語を喋った。
新市街の目抜き通りRue de la Republique(ちなみに多くのフランスの都市に同じ名前の通りがある。アメリカのBroadwayみたい。)
から旧市街を一周し、晩ご飯を一緒に食べてお別れした。
リヨンの第一印象は、とにかくスペースの使い方が贅沢。街の中心広場はサッカースタジアムが
建てられるんじゃないかというくらいだだっ広い。町中の他の広場もとてもゆったりとしたスペーシング
になっていて、街全体から余裕が感じられる。

建物はヨーロッパの街はどこも石造りなので、何都市もまわっていると途中から全部同じに見えてくるが、
フランスに来て「あ、フランスに来た」と感じるのは街路樹の存在かもしれない。しかも、プラタナスの。
シャンゼリゼのイメージが強いからかもしれないが、例えば東欧の街などではあまり街路樹を意識する
ことはなかったように思う。









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