2011年8月31日水曜日

アルプスの麓の街、Grindelwald (1) (8/29 - 8/31)

チューリッヒの宿に滞在中、せっかくスイスまで来たんだからアルプスを見ないで帰るのもなんだな、
とふと思い、色々調べ始めた。当初の予定ではスイスはとにかく物価が高いので、あまり長居せず財布が
空になる前にさっさと次に行こう、と思っていたが予想以上にスイスは綺麗な国だったので名残惜しく
なった。それになによりも自分は山が大好きなので、街からアルプスを見ていると無性に行きたくなった。

アルプスでよく聞く地名はツェルマット、サンモリッツ、シャモニ、などだが、それらはいずれも
僕のこの先の予定と照らし合わせると多少面倒臭い場所にあった。

次の目的地はフランスのリヨンの予定なので、西方向に抜けやすく、チューリッヒから近くて、高い山が
あるのはどの辺だろう、と地図を広げるとどうやらインターラッケンの南辺りにアイガー、ユングフラウ
といった4000m級の山があることが分かった。しかもどうやらヨーロッパで一番標高が高い駅があるらしい。
スイスのガイドブックを持ってきてなかったので割と適当に決めたが、かなり有名な場所だということは後から知った。


朝早めの電車でチューリッヒ→ルツェルン→インターラッケンのゴールデンパスと言われる絶景ルートを
通り、インターラッケンからユングフラウ観光基点の街グリンデルヴァルドまでは登山鉄道のような電車に乗った。
電車がしばらく山道を登っていくと、ある時近くの山の影から奧にそびえ立つ雪山がどーんと姿を表した。
やはり高い山というのは、その存在自体がもの凄いオーラを放っている。

グリンデルヴァルドの街は登山グッズの店がたくさん並び、日本人観光客もかなりの数がいた。
間違いなく今まで訪れた場所で一番日本人の数が多い。ほとんどがツアー客だが。
(ちなみに日本の登山グッズメーカーMont-bellの直営店があって嬉しかった。海外で初めて見た。)

この日は午後に到着したので、ユングフラウには翌朝登ることにし、ホステルにチェックインして
のんびり過ごした。今までは「街」をテーマに旅行を続けてきたので久しぶりに吸う大自然の空気は
とても気持ち良かった。朝晩のひんやりとした「山の空気」は最高だ。

ちなみにここで泊まったホステルは安くて広々としてとても感じが良かった。
一泊の予定で予約していたが、着いてすぐに気に入ったのでその場でもう一泊延長した。
オススメです→ Downtown Lodge Grindelwald








湖畔の美しい街、Zurich (8/28 - 8/29)

お昼の便でチューリッヒ空港からモントリオールに飛ぶ、というO君と一緒の電車に乗り、ローザンヌから
後戻りする形でチューリッヒへ。
電車の中でもO君とスイスの政治・経済問題などについて色々話した。

スイス、と言えば日本人から見ればとても安全な国というイメージがある。しかし、近年はそうでもないらしい。
特にシェンゲン協定に加盟してからは、他の欧州各国等から北アフリカ系や東欧系の移民が流入し、
各地で問題が起きているという。つい先日もジュネーブでアメリカ人が10数人の北アフリカ系の若者に
殴り殺されそうになった、というニュースが報じられたという。こういう現実に対応するための法律が
整備されていないのも問題をより深刻にしているらしく、罰金の支払能力がない犯罪者達はすぐに釈放され、
すぐにまた同じような犯罪を犯すそうだ。
この数週間、色々なヨーロッパ人と話してきたが、移民問題はやはりEU以降の現代ヨーロッパほとんどの
国に共通する深刻な問題だ。それが極端な形で顕在化したのが数ヵ月前に起こったノルウェーの爆弾テロ事件だろう。
あのような事件が今後も多発するかは分からないが、程度の差はあれ欧州各国でナショナリズムが台頭しているのは確かだ。
今後グローバリゼーションが更に進行すれば、国同士の相互理解が深まるのと同程度に緊張も高まるような気がする。
そんなことを話しているうちにあっと言う間にチューリッヒに到着し、O君と別れた。
近々どこか途上国の工場に派遣される予定だというO君は、「次の再会はシベリア奥地かパキスタン辺りかな」と笑っていた。



チューリッヒでは母親に紹介して貰ったスイス人のAlexandreと会った。ロシア人の奥さんと、1歳半になる
子供も一緒に出迎えてくれ、日曜日で静まりかえったチューリッヒの街を一緒に散策した。日曜日は
ヨーロッパのどの街も店が閉まっていて静かだ。その代わり人々は山や湖など、アウトドアを楽しんで
いる。この日は最高に天気が良く、普段は大体霞んで見える、というアルプスの山々もばっちり見えた。

ローザンヌはレマン湖の畔にある街だったが、チューリッヒもチューリッヒ湖に面した湖畔の街だ。
天候のせいもあるが、ローザンヌがしっとりとした雰囲気の街だったのに対し、チューリッヒはもう少し
活気のある所だった。湖沿いの公園やビーチはビーチバレーや日焼けを楽しむ若者で賑わっていた。

チューリッヒはUBSやクレディ・スイスなどの世界的金融機関を抱えるロンドンに次ぐ欧州第2の
金融センターだ。しかし、アジアや北米の経済センター都市は富と権力の象徴としてほぼ例外なく高層ビル
が林立しているのに対し、チューリッヒはあくまでもヨーロッパらしい低層の落ち着いた石造りの建物が並ぶ。
一見中規模の地方都市、という感じだが世界的には大きな影響力を持っている。
そこに少しギャップを感じる街であった。











静かで上品な街、Lausanne (8/27 - 8/28)

大学院の1年目に一緒の建物に住んでいたスイス出身のO君を訪ねてローザンヌへ。
前夜に降った雨でひんやりとしたミュンヘンを早朝に出発し、約7時間かけてローザンヌへむかった。

最初はミュンヘンから近いチューリッヒに行く予定だったが、O君がカナダへ旅行に
旅立つと聞き、彼がいる間にローザンヌへ行っておこう、ということで急遽敢えてチューリッヒ
よりも遠いローザンヌへ先に行くことにした。

今まで僕はスイスという国に特別興味がなかった。
清潔で、お金持ちがプライベートバンクにお金を預け、高い技術を持つ人気の国、というイメージは
あったが、根がへそ曲がりなせいかみんなが良いと言うとあまり興味を持てなくなるのかもしれない。

でも行ってみて全く気が変わりました。良いものは良いんです(笑)

ハワイだってみんな行くけど、確かにあんなに海岸から近くに珊瑚礁が広がっている綺麗な海は
そうそうない。確かにいいとこなんだ。

事前に抱いていたスイスのもう一つのイメージは、日本と似ている国、ということだった。
国土が狭く山が多く、資源はないが世界に誇る高い技術力を持っていて、勤勉な国民がいる、という共通性だ。
このイメージも結構合っていた。電車でチューリッヒからローザンヌにむかっている間の風景は
長野県の野辺山辺りを小海線で走っているような感覚だった。電車の時間も今までのどの国よりも正確で、
清潔感も日本に似ている。スイス人も日本のことを「アジアのスイス」と呼ぶことがあるらしい。
相手がそう来るならこちらはスイスを「ヨーロッパの日本」と呼んでやろう。


ローザンヌの駅でO君に出迎えて貰ったあと、中心街からすぐの閑静な住宅街にある彼の新居にお邪魔し、
一通りお互いの近況報告をした。
O君はバンクーバーで一年間の短期ビジネスプログラムを終え、スイスに帰国後比較的すぐに
スイスを代表する某多国籍企業にエンジニアとして就職が決まった。この夏から働きはじめ、今は業務の
いろはを学ぶ研修の真っ只中らしい。と言いつつも今週から2週間早速休暇を取ってカナダに遊びに行くという
から羨ましい話だ・・・。


ローザンヌはチューリッヒ、ジュネーブ、バーゼルに次ぐスイス第四の都市。ジュネーブと同じく
レマン湖の畔に位置し、急峻な斜面に市街地が広がるしっとりとして気品ある街だ。
チューリッヒ、バーゼル、ベルンを含む東部がドイツ語圏なのに対し、ローザンヌとジュネーブは
フランス語圏だ。電車に乗っているとフリブール(ドイツ読みはドイツの都市と同名のフライブルク)を
境にアナウンスがドイツ語からフランス語に変わる。

普段のニュースであまりその名を聞くことはないが、ローザンヌには国際オリンピック委員会(IOC)の本部、
O君も卒業生である世界的名門校、スイス連邦工科大学ローザンヌ校(EPFL)、スイス連邦最高裁
などなど重要な教育・文化・法的機関が置かれている。

O君に連れられてローザンヌ大聖堂の鐘楼の上まで登ると、街全体が良く見渡せた。背後にある
湖と、その更に後ろにそびえ立つアルプスの山々が美しい。生憎曇り気味の天候だったが魅力は十分に伝わった。

旧市街を散策した後は、O君の車で街の郊外に広がる世界遺産の葡萄畑、Lavauxに行った。
ここの風景は実は既にローザンヌへ来る途中の電車の中から見ていて、ひどく感動したのでO君に是非連れて
いって欲しい、とお願いしようとしていたところだったが、既にプランに入っていたらしい。
まさか世界遺産にも登録されている景勝地だとは知らずに電車から初めてその光景を見たときはあまりの
美しさに思わず声を上げそうになった。今まで見た風景の中でもトップ3に入る。

Lavauxの葡萄は急斜面で栽培されているため、収穫が機械化出来ず、そのためコストが高い。
値段が高い上に、以前は決して高品質とは言えないワインを生産していたため一時は多くの葡萄農家が
経営危機にあったらしい。近年は様々な改良により味の水準が上がり、さらに2007年に世界遺産に登録
されたお陰で世界的な認知度や訪れる客も増えたと言う。
もともとこの地域はレマン湖の照り返しで陽当たりが良く、斜面により光が均等に当たるため葡萄の栽培
には適した場所だという。微気候(microclimate)により少し場所が違うだけでガラッと気温や陽当たりが
変わる中、Lavauxは絶妙な位置にある、らしい。


夕方はO君の実家にお邪魔し、弟のF君にも会った。彼は医学生だが、本格的な木製ラジコン飛行機や
Nゲージなどの鉄道模型に凝っており、地下室にあるドデカいジオラマセットを見せてくれた。
このジオラマセットは爺さんの代から受け継いでいるらしく、家族揃って機械いじりや模型にはまって
いる「いかにも」なスイス人一家だ。
O君はカナダにいる時から何でも「ホンモノ」にこだわり、カメラからキッチン要具まで、持ち物は全て
良いものを揃えていた。こういうこだわり派には日本製品というのはやはりウケるみたいで、彼はえらく
日本のことをいつも褒めている。F君も、ラジコン飛行機のモーターは日本製が一番だ、と言っていた。

「スイスは一時期日本に時計市場を丸ごと持っていかれそうになったしね。高品質で精密なものづくり、
という点で最大の良きライバルだと思うよ」と嬉しそうに語っていた。

弟君もこの10月に日本に遊びに来るらしく、再会を誓った。


夜はO君の奢りで、彼の高校の同級生M君も一緒に地元のレストランへ。彼らはチーズフォンデュを、
僕はローストビーフを頂いた。このレストランはともかく、スイスは物価が異常に高い。
特に今はユーロ安スイスフラン高なので、目が飛びでるような値段のモノを目にする。

例えばスタバでコーヒーを飲むと約600円、マックでビッグマックセットなど頼もうものなら1200円くらいする。

スイス人の賃金は当然この物価に合わせて調整されているので、スーパーのレジの人でも月30万円くらいを
手にしているらしい。

しかし一旅行者にとっては極めてお財布に厳しい国である。










ビールの街、Munchen (8/25 - 8/27)

プラハのホステルで、ブラジル人のパウロと会った。

彼は37歳のお医者さんで、スペインで行われる学会に合わせて休暇を取り、ヨーロッパを旅行中らしい。
彼の次の行き先はミュンヘン、僕と一緒だ。そういう巡り合わせもあって色々話しているうちに
意気投合し、とても仲良くなった。当然ミュンヘンでも会うことに。

ミュンヘンに来るのは6年ぶり。大学一年生の時にフランクフルト、ミュンヘン、ザルツブルグ、
リュブリャナ、ベネチア、ローマ、フィレンツェ、ミラノ、ミュンヘン、ニュルンベルグ、ライプツィッヒ
ベルリン、ケルン、パリ、という西欧周遊旅行をした。その時にミュンヘンを二度も通ったのは偶然では
ない。不思議と落ち着く街で、とても気に入ったので急遽南仏方面行きをやめてドイツに戻ったのだ。
というわけで、ミュンヘンは思い入れのある街だが、6年経って自分の見方が変わってないかも気になって
いた。

結論から言えば、今までまわってきた東欧の都市やウィーン等に比べれば特別観光的には
面白い街とは言えないが、清潔で落ち着いていて住みやすそうな街だという認識に変わりはなかった。

パウロと、パウロの友達でベルギーで法律関係の仕事をしているホドリゴ(スペイン語発音だとロドリーゴ)
にも会い、一緒に市内の主な見どころを見たり、Neue Pinakothekで印象派他18、19世紀の絵画を見たりして
のんびりと過ごした。あ、もちろん夜はHofbrauhausでおっきなビールも飲みましたよ。

今回はミュンヘンの街自体よりも、一緒に時間を過ごしたパウロとホドリゴのことがとても印象に
残っている。ブラジルは日本以外では最大の日系人コミュニティが存在する国なので、ブラジル人は
日本のことを比較的よく知っている。
2人ともとても誠実で親切な人達で、是非近いうちにブラジルに会いに行きたい。
こういう人達とふらっと出会えるのが旅の醍醐味だ。

パウロが言っていたことで、僕もとても同意するのが「旅をすると人を見極める感覚が磨かれる」ということ。
特に一人旅ではいつもより警戒心が強くなるので、親切にしてくれる人に対し「単に親切な人」か「理由があって親切にしてくる人」
なのかの見極めを短時間で正確に行わなければいけない。
大体同じ旅人同士であればそんなに悪い人はいないが、気は抜けない。パウロは最初からとても親切だった
ので一瞬警戒したが、そんな警戒は無用であることはすぐに分かった。会って2日目にして既に兄弟のように
接してくれた。ラテン人のこういうメンタリティは本当に凄い。

ミュンヘンでまたしても良い思い出が出来た。


ちなみに、このブログのタイトルで書いている各都市の名前は敢えて現地語読みの表記にしている。
Munchen(本当はuの上に点が二個ある)は英語読みではMunich、PrahaもPrague、BeogradもBelgradeだ。
他にもVeneziaがVenice、FirenzeがFlorenceなどなど、英語名はしばしば現地名と異なる。

僕はこのように英語が勝手に都市の名前を変える(anglosizeする)のが嫌いだ。日本語はその点結構
現地語の読みに忠実なのが気に入っている。大体現地語読みを知っていた方が現地人にも喜ばれるし、
相手に対して敬意を持って接していることが伝わる。











建築博物館の街、Praha (8/22 - 8/25)

ウィーンでやっとユーロ通貨圏に入ったと思ったら、またチェコに来て通貨が変わった。

これでUAEディルハム、トルコ・リラ、ブルガリア・レフ、セルビア・ディナール、
ハンガリー・フォリント、ユーロ、チェコ・コルナ、と旅を始めて既に7種類目の通貨だ。
毎回国が変わる度に物価水準が分からないので、いくら両替していいか迷う。基本的には余らないように
少なめに替えて、足りない分はクレジット・カード、という戦略で今のところ結構うまくいっている。



プラハは街自体が博物館のような場所だ。新旧、あらゆる建築様式が混在していて、歩いているだけで
楽しい。ウィーンもリング沿いにウィーン大学、市庁舎、国会議事堂などが様々な建築スタイルで立てられて
いたが、あれはあくまでも見せ物として意図的に建てたもの、という雰囲気が伝わってきた。
一方、プラハは街が成長する過程で自然に各年代の建築スタイルが然るべき場所に建てられ、それが有機的に共存している感じがした。

大胆な例えをしてしまえば、ウィーンはサファリ・パーク、プラハはサバンナ、という印象だった。


プラハでは、母親に紹介してもらった知り合いのKamilaに会った。
彼女には滞在中かなりお世話になり、色々なレストランに連れていって貰った。
チェコ人は共産主義の名残で未だにあまり他人を信用しないらしい。特に外国人には冷たい、とKamilaは
言っていたが、僕は特別そう感じなかった。しかし、東欧の国は確かにどこか影がある街が多い。
それが魅力になっている気がするが、人間関係においてはあまり好ましくないもののようだ。

別れぎわにKamilaがチェコ人の作家、ミラン・クンデラ(Milan Kundera)の"The Unbearable Lightness of Being(邦題:存在の耐えられない軽さ)"
を餞別にくれた。ちょうど読む本がなくなって来てたので嬉しかった。この物語自体は哲学的な示唆を
含んだ恋愛小説だが、舞台であるプラハの共産主義時代の時代背景を理解するにも良い本だ。




































2011年8月25日木曜日

文化と芸術の街、Wien(4) (8/18 - 8/22)

ウィーン3日目。朝からウィーン郊外のシェーンブルン宮殿へ。
ここはハプスブルグ家が夏の宮殿として使っていた所だ。


感想は・・・おっきいおうち持ってていいですね(笑)


バッキンガム宮殿には行ったことがないし、日本人が大好きな東京ドーム何個分だか知らないので何と
比べていいのか良く分からないが、とりあえずどこからどこまで宮殿なのかよく分からなかった。。

でも少し腑に落ちないのが、何故本家のホーフブルグ宮殿から地下鉄で数駅しかない近場に
夏の別荘なんて建てるんだろう。当時のウィーンの気候が今と一緒か知りませんが、ウィーンって
結構暑かったぜ・・・(僕が行ってた間はたまたまだったのかな。)
どうせなら那須御用邸、みたいにもっと涼しいとこにすればいいのに。
しかも気候はともかく、別荘ならもう少し地理的に離れた非日常的な場所で過ごしたい気がするが。

でも考えてみれば日本も京都御所のすぐ近くに修学院離宮も桂離宮もあるし、そういうもんなのかな。








地下鉄の緑のラインの駅は全てユーゲントシュティールの代表的な作家で、マジョリカハウスや後述の
郵便貯金局もデザインしたオットー・ヴァグナー作。駅に座っているだけで趣がある。




無駄を廃除し、機能的な美しさを追求した傑作と言われるウィーン郵便貯金局(Postparkassenamt)は
何も考えないで歩いていてもハッと気付くくらい、周囲の建物とは明らかに異なるオーラがある。
内装のデザインもコンクリートやアルミの質感を強調したかなりモダンなデザインで美しい。










オットー・ヴァグナーの弟子、オスカー・ラスケがファサードをデザインしたエンゲル薬局も
金色を随所に用いたモザイク壁画が美しい。知らない人も多いらしく(興味がないだけか)、前を素通り
する観光客がほとんどだった。これも街の何気ない一角にある。







ウィーン4日目は日曜日だった。ウィーンの日曜日はほとんどのお店が閉まっているので、いつもの
賑やかさがウソのように静かだ。街の中でも特にやることがないので、少し郊外に出たハイリゲンシュタット
という地区に行き、丘の上のカフェで半日本を読んだりぼーっとしていた。
この地区は新酒ワインのホイリゲを出す居酒屋(居酒屋の一般名称もホイリゲ)が多数軒を連ねるエリア
としても知られるので、帰りにそのうちの一軒に寄り、ホイリゲとソーセージを頂いてきた。

毎年11月11日に解禁されるそうだが、とてもさっぱりしたワインなので、シュプリッツァーと合わせて
夏の暑い日に飲むと爽やか、という感じだった。中庭でライブミュージックを聴きながら食事を出来るのは
雰囲気がいい。ドイツのビアガーデンのウィーン版、という感じか。