2011年8月24日水曜日

文化と芸術の街、Wien(3) (8/18 - 8/22)

ウィーン3日目は曇り気味。でも気温的にはこれくらいがちょうどいい。

自然史博物館の前を通り・・・


ハプスブルグ家が600年以上宮殿として使っていたホーフブルグ宮殿へ。


中の博物館には、宮廷で使われていた銀器、金器、磁器のコレクションが展示されていた。
普段からこんなモノ使うてらしたんですか・・・と溜息が出るほど豪華な食器の数々。何か催しが
あるごとに特注でパリから云々を取り寄せて、とかそんな話の連続。
中には中国の磁器や、日本の有田焼もあった。







写真は撮れなかったが、その後もハプスブルグ家実質最後の皇帝フランツ・ヨーゼフの寝室や謁見の間、
フランツ・ヨーゼフの妻でシシィことエリーザベトの化粧室や体操室など、これまた豪華すぎる部屋の
数々を見てまわった。

家訓「戦いは他のものにさせるがよい。汝幸あるオーストリアよ、結婚せよ」の通り、ハプスブルグ家は
政略結婚により広大な領土を手にした名門貴族一家だが、ドイツでフランツ・ヨーゼフにひと目惚れされて
ウィーンに嫁いだエリーザベトは堅苦しい宮廷生活に大きな不満を持っていたらしい。
(どっかで聞いたことあるような話ですね・・・)
ハプスブルグ帝国から独立を望むハンガリーを気に入り、ハンガリーの宮殿で過ごす時間も多かったという。
そんなわけでエリーザベトは今でもハンガリー国民には人気で、ブダペストにある橋の名前で唯一
ハプスブルグ家関連の名前が未だに残っているのはエルジェーベト橋だけだ。


午後はユーゲントシュティールの作品として有名なマジョリカハウスへ。
この建物の一階には実は「くいしんぼ」という和食屋が入っていて(写真にも写っている)、お昼ご飯は
ここで鍋焼きうどんを食べた。10年以上前に旅行でウィーンに来た時にあまりにひどい日本食しかなかった
ことに日本人として居ても立ってもいられなくて自分達で和食屋を立ち上げた、というガッツのある
関西人のご夫妻が切り盛りする小さなお店は和食通のオーストリア人や現地在住の日本人で賑わっていた。
なめこおろしそばをすするオーストリア人、という図もなかなかシュールである。

ご夫婦の奥さんのほうと何気ない会話をしていたところ、段々と盛り上がって来て、結局
1時間以上ウィーンの日本食ビジネスが直面している価格競争の実態や、現地の中国系・韓国系経営の
和食店との微妙な駆け引きなど、ビジネスを行っていく上でとても興味深い話が聞けた。会話は更に
飮食系に限らずいかに日本企業が中国・韓国系に比べて現地事情に疎く駆け引きが下手か、という
話にも及び、色々力説してくれた(笑)思わぬ有意義な出会いに旅の醍醐味をまたまた感じた。






ウィーンはフンデルトヴァッサーの生まれ故郷だ。フンデルトヴァッサーについては以前に書いたが、
「ウィーンのガウディ」とも言われているとてもオーガニックな(と言えばいいのか奇想天外といえばいいのか)作風で知られる芸術家だ。
自然界に存在しない「直線」に基づいて社会や文化が成り立っているとすれば、「それはいずれ崩壊する」
と述べているのからも分かるように、彼がデザインするものに直線は一切無い。
その徹底ぶりは建物の床にも見られ、彼の作った建物の中を歩いていると平衡感覚を失って気持ち悪くなる人もいる(笑)

そのフンデルトヴァッサーが自らデザインした美術館「クンスト・ハウス」及び公共住宅(social housing)の
「フンデルトヴァッサー・ハウス」は至近距離にあり、両方見に行ってきた。
大阪の舞洲工場と同様、何気ない風景の中にいきなりビックリ仰天な建物が現れると思わず笑ってしまう。
この「思わず笑ってしまう」遊び心が僕は大好きだ。















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