2011年8月20日土曜日

西欧への入口の街、Budapest (8/15 - 8/18)

ベオグラード(ちなみにベオ=白い、グラード=街、だそうです)のお次の街はハンガリーの首都、ブダペスト。


ベオグラード~ブダペスト間は電車で8時間くらいかかるので、ベオグラードを10:05の電車に乗った。
滞在中終始最高のホスピタリティでもてなしてくれたAnaのご家族は最後まで洗濯をしてくれたり、
なんと昼ごはん用のお弁当まで作ってくれた・・・泣ける。
家族のように接してくれたミルコフ一家に別れを告げるのは寂しかったが旅はこの先も長い。

ブダペスト行きの電車は、途中他の列車が自動車との衝突事故を起こした(ちなみに自動車に乗っていた
5名が全員死亡、という大事故だったそうです)とやらの理由でハンガリー国境近辺で2時間ほど停車した。
と言うわけでまたしても到着が2時間遅れ・・・。しかも停車中の車内はエアコン無しで外気温30度超
なので、サウナ状態。しばらくしてるとボーっとしてきたので他の乗客のように電車から降りて線路で
しばらく涼んでいた。
幸いエアコンが無い代わりに電車から線路にも乗り降り自由なので中に閉じ込められはしなかった(笑)



このブログのタイトルにもあるように、この旅は東から西に移動する、という大きなテーマがある。
今のところイスタンブールから東欧諸国を通ってきたが、最初の大きな変化はトルコからブルガリアに入った時にイスラム教文化からキリスト教文化に変わったことだった。
しかし、ブルガリアもセルビアも我々が一般にイメージするヨーロッパ(=西欧)とは違った雰囲気を
持っており、むしろ言語的にも人種的(人の顔)にもロシアっぽさを感じた。


しかし、ハンガリーまでやってきてやっと「西欧に足を踏み入れた」という実感が初めて沸いた。
これが2度目の大きな変化だと思う。
そう実感した主な理由は街の作りや建築様式からだが、それはハプスブルグ家のテリトリーに入った、ということなんだと思う。
ただ、未だにオスマン支配時代のトルコ風呂が残っていたり、所々に東との接点も垣間見えるところが
面白く、そういう意味では少し不思議な感覚のする街だった。

面白いことにハンガリー人のご先祖様は人種的には中欧近辺で唯一のアジア系(ウラル近辺のマジャール人って人達だそうな)で、
今でも子供には蒙古斑があったり名字が名前の先に来るなど、アジア人の祖先の名残があるらしい。
ただ、僕は赤ちゃんの尻も見てないし人のフルネームを文書で見る機会もなかったので言われなければ
絶対に分からない。第一今では混血が進んでいて純マジャール人の直結の子孫なんていないんじゃないか。


滞在中の2日間はゲッレールトの丘、王宮の丘、マチャーシュ教会、くさり橋(ブダとペストを初めて
繋いだ橋)、イシュトヴァーン大聖堂などなど主な観光名所は一通り周り、ブダペスト名物の風呂も
トルコ式のキーライ温泉ともう少し近代的な温泉プール、セーチェニ温泉の2種類に入ってきた。
温泉に浸かり、町をぶらぶら歩く、割とゆっくりとした過ごし方を出来た。






























ご飯は、「Menza」というお洒落なモダンハンガリアンな食堂がよかったのと、「ありがとう」という
不思議な名前の(笑)和食屋さんが本格的な日本料理を出していて美味しかった。
一応お決まりのハンガリー名物グーヤッシュも食べました。美味しかった!

2 件のコメント:

  1. なつかしー!!行ったことある所がちらほらと。。
    グーヤッシュおいしいよねーXD 私が行ったのは4月だったから気温は高くなかったかな。また行きたいわぁ。。。

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  2. グーヤッシュは店によって結構味が違うらしいけど、
    基本的にはパプリカ風味の牛シチューみたいなもんだよね。
    日本人好みの味な気がしたぜよ。

    4月かあ、気温低い方が温泉は気持ちよさそうだけど!

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